更年期以降の性について語られるとき、しばしば二つの別の話が混ざります。
ひとつは、身体の変化の話。 これは事実であり、対処法があります。
もうひとつは、意味の話。 こちらは事実ではなく、文化が用意した物語です。
この二つを分けないまま「もう歳だから」で片づけてしまうと、扱えるはずの問題を放置し、扱う必要のない物語に縛られることになります。順に見ていきます。
閉経の前後、女性ホルモンの減少にともなって、性器や尿路の粘膜に変化が起きます。近年は GSM(閉経関連泌尿生殖器症候群) という名前でまとめて扱われます。
主な訴えは次のようなものです。
ここで最も大事なことを書きます。これらは、治療の対象です。
局所的なホルモン療法、保湿剤、その他の選択肢があり、多くの場合ではっきりした改善が見込めます。 医師に相談できます。
けれど、多くの人が相談しません。理由は「歳だから当然」と思っているからです。
当然ではありません。 歳を重ねると起きやすい、というだけで、放置すべきものではない。膝が痛ければ整形外科に行くのと、同じことです。
「潤滑剤で対応する」で足りる場合もありますが、粘膜そのものが薄くなっている状態には、それだけでは届きません。痛みが続くなら、原因を確かめてください。
ここは、この記事でいちばん行動を変える部分かもしれません。太字にする価値のある一点です。
更年期の症状のうち、ほてりやのぼせといった血管運動症状は、多くの場合、時間とともに軽くなっていきます。 「そのうち治まる」は、この部分については当たっています。
GSMは、そうではありません。
治療しないまま置くと、進行します。 待っていても戻りません。それがこの症状の性質です。
つまり、「そのうち治まる」という更年期についての一般的な理解が、この症状に関してだけは当てはまらない。 そしてその誤解のせいで、対処できるものが何年も放置されます。
閉経後にこの症状で困っていると答える人は、報告によって幅がありますが、おおよそ四割から五割とされます。
そのうち、半数以上が何の治療も受けていません。 適切な手当てに至っている人は四分の一に満たないという報告もあります。
これは、患者が我慢強いという話ではありません。 症状の名前が知られておらず、聞かれず、言い出しにくい ── その三つが重なった結果です。
治療の考え方としては、まず保湿剤や潤滑剤といったホルモンによらない方法が第一に置かれます。局所的な低用量のホルモン療法についても、全身のホルモン値を上げることは示されていないとされています。
ただし ── ここから先は、必ず医師と相談してください。 既往歴によって選べるものが変わります。私が書けるのは、「相談する価値がある」というところまでです。
この症状は、二〇一四年まで別の名前で呼ばれていました。「外陰腟萎縮(vulvovaginal atrophy)」です。
国際女性性機能学会(ISSWSH)と北米閉経学会(NAMS)が二〇一三年に合同の会議を開き、翌二〇一四年、両学会が正式に GSM という新しい名前を採用しました。
理由が二つ挙げられています。
二つめが、私には重要に思えます。医学の側が、「この名前のせいで語られなくなっている」と判断して、名前を変えた。
このサイトで繰り返し書いていることと、同じ構図です。名前は、何が語れるかを決めます。 そしてこの件では、名前を変えたのは詩人でも思想家でもなく、臨床の現場で困っていた医師たちでした。
性欲の変化も、多くの人が経験します。
減る人がいます。増える人もいます。質が変わるという人が、おそらくいちばん多い。
これらは異常ではありません。ホルモンの変化、身体の変化、そして人生の位置づけの変化が、同時に起きているだけです。
問題は、「以前と同じであるべきだ」という前提のほうにあります。
日本語圏でも英語圏でも、更年期以降の性について流通している物語はだいたい二つです。
衰退の物語 ── 終わりに向かう。もう卒業。恥ずかしいこと。
抵抗の物語 ── 何歳になっても現役。若さを保て。まだやれる。
どちらも同じ前提の上に立っています。若い頃の性が基準であるという前提です。片方はそこから落ちることを嘆き、片方はそこに留まろうと努力する。
基準そのものを疑うという選択肢が、ほとんど語られていません。
ここが、このサイトの主題と交わる場所です。
聖なる性を扱ってきた伝統には、興味深い共通点があります。生殖を目的としない性を、劣ったものとして扱っていないという点です。
タントラの文脈では、性の合一は子をなすための行為としてではなく、認識の実験として位置づけられました(聖なる性の系譜)。
道教の房中術は、放出しないことに価値を置きました。生殖と逆の方向です。
つまり、これらの伝統においては、生殖能力の有無は、この主題の中心的な条件ではありませんでした。
さらに言えば、多くの伝統でこうした知は年長者が担うものとされてきました。若さは条件ではなく、むしろ経験と落ち着きのほうが求められた。
「終わった」という物語は、伝統から来たものではありません。 かなり近代的な、そして商業的な物語です。
変わるもの
変わらないもの
後者はすべて、このサイトの実践で扱っている領域です。年齢による条件がありません。
むしろ、急がなくなること、達成を目的にしなくなることは、この実践においては有利に働きます。 若い頃にいちばん難しかった「目的を降ろす」ということが、自然にできるようになる。
一、症状があるなら医療へ。 乾燥、痛み、出血、頻尿。「歳だから」で終わらせない。そして「そのうち治まる」でも終わらせない。 ほてりとは違い、これは待っても戻りません。
二、以前と比べるのをやめる。 比較対象を過去の自分に置いている限り、変化はすべて損失に見えます。
三、感覚の地図を作り直す。 身体が変わったなら、地図も更新が要ります。呼吸とからだ の手順二から。
四、意味を置き直す。 何のためにこれを続けるのか。生殖でも、若さの証明でもないとしたら、何なのか。
四番目の問いに、既成の答えはありません。ただ、同じ問いを何百年も前から扱ってきた人たちがいるということは、知っておいてよいと思います。
その系譜は、こちら にまとめてあります。
この記事は医療行為ではなく、診断や治療を目的としたものではありません。 症状のある方は医療機関へ。性暴力被害の相談は #8891(ワンストップ支援センター)、 0120-279-338(よりそいホットライン)へ。