解剖図には、部位の名前が並んでいます。陰核、小陰唇、膣前庭、Gスポット。
ところが実際に感じているものは、そんなふうには分かれていません。「ここが気持ちいい」と指させないことのほうが普通です。 広がっていたり、移動したり、その日によって違ったり。
この食い違いは、多くの人を混乱させます。「自分の身体はおかしいのではないか」と。
おかしくありません。地図と地面は、もともと別のものだからです。
まず、事実として押さえておくべきことがあります。
一般に「クリトリス」として図示されるのは、外から見える小さな突起です。けれどそれは全体のごく一部にすぎません。
一九九〇年代以降のMRIを用いた研究によって、陰核は内部に大きく広がった構造を持つことが明らかにされました。左右に伸びる脚(脚部)と、膣の両側を包む膨らみ(球部)があり、全体としては数センチにおよぶ。
つまり、膣壁を通して触れているものの正体が、実は陰核の内部構造である可能性が高い。
この一点が、次の論点を大きく変えます。
この話には、書いておくべき経緯があります。
ヘレン・オコンネル。 オーストラリアの泌尿器科医で、一九九三年に同国で女性として初めて泌尿器科の専門医課程を修了した人です。
彼女が学生だった一九八〇年代、解剖学の教科書には男性の勃起の仕組みに一章が割かれていました。 一方で、陰核については ── 神経と血管の走行を記した記述が、手元のどの教科書にも見当たらなかった。
その空白が、彼女の研究の出発点になります。
一九九八年、尿道と陰核の解剖学的関係についての報告。そして二〇〇五年、『Journal of Urology』誌に "Anatomy of the Clitoris"。生きている人のMRIと解剖所見を組み合わせ、陰核の構成、神経と血管、周囲の組織との関係を、はじめて包括的に記述しました。
結論の一つが、こうです。前庭球は陰核の一部であり、尿道と膣は、勃起する組織ではないものの、陰核と一つの組織のまとまりを形づくっている。
つまり、この記事の次の節で扱う論争の答えは、二〇〇五年の時点である程度出ています。
そして、この話の本当の要点は別のところにあります。 人体の、これほど基本的な構造が、きちんと記述されたのが二十一世紀に入ってからだという事実のほうです。技術がなかったからではありません。調べられていなかっただけです。
もう一つ、この記事の主題そのものを言い当てる話があります。
陰核には神経終末が八〇〇〇個ある ── よく見かける数字です。記事にも、講座にも、商品説明にも出てきます。
この数字には、人間を数えた研究がありませんでした。
出所は、牛の陰核を調べた研究です。その結果が、いつのまにか人間の話として引き写され、繰り返されるうちに事実として定着しました。
人間で実際に数えられたのは、二〇二三年です。ウロコらの研究(『The Journal of Sexual Medicine』)が、陰核背神経の線維数を組織学的に数え、平均およそ一万二八〇本という値を出しました。八〇〇〇より多い。
私がこの話を長く書くのは、数の大小が大事だからではありません。
何十年も、誰も確かめないまま繰り返されていた。 それが、この領域の実際の姿です。そして直したのは、スピリチュアルな洞察ではなく、地味に数えた人たちでした。
日本語圏で強く流通している言葉ですが、研究者のあいだで見解が一致していません。
近年は二番目の見方が有力とされることが多いようです。「点」ではなく「重なり合う領域」。
前の節で見たオコンネルの記述が、そのままこの答えになっています。 陰核・尿道・膣が一つの組織のまとまりを形づくっているのなら、その境目に独立した器官を探すこと自体が、問いの立て方として間違っていることになります。
ここから言えることは、実用的です。
探す対象が「点」だと思っていると、見つからないときに失敗と感じます。 領域だと思っていれば、探し方そのものが変わります。
ここが、この記事でいちばん伝えたいことです。
部位に名前がつくと、人はその名前に合わせて感じようとします。
先に名前を覚えると、体験が名前の型にはめられます。 感じていないものを感じたことにし、感じているものを見落とす。
伝統がしばしば「まず観察せよ、名づけるな」と教えたのは、この転倒を避けるためだったと思います。
商業的な言説は、名前を増やすことで成り立っています。新しい名前がつけば、新しい教材が売れる。名前が増えるほど「まだ知らないことがある」と感じさせられる。その構造を知っておくだけで、振り回され方が変わります。
もうひとつ、重要な事実があります。
感じ方は、生まれつき決まっているわけではありません。
身体には、感覚の濃い場所と薄い場所があります。そしてその分布は、注意の向け方によって変わります。長く意識を向けなかった場所は薄くなり、向け続けた場所は濃くなる。
これは特別な現象ではありません。利き手でないほうの指先の感覚が鈍いのと同じです。使えば変わります。
だから、「自分は感じない体質だ」という結論は、たいてい早すぎます。地図が空白なだけで、地面が無いわけではない。
要ります。ただし、使いどころが違います。
役に立つ使い方
役に立たない使い方
前者は地図の正しい使い方で、後者は地図を地面と取り違えています。
具体的な手順は、呼吸とからだ の「感覚の地図をつくる」に書きました。
要点だけ繰り返します。
やってみると、多くの人が驚きます。感覚が抜け落ちている場所は、しばしば人生の出来事と対応しています。
そこに気づいたとき、この地図は解剖図よりずっと役に立つものになります。
解剖図は、他人の身体の平均です。
あなたの身体は、その平均ではありません。似ているところもあれば、違うところもある。そして、変わります。
図に自分を合わせるのではなく、図を参照しながら自分を確かめる。順番はそちらです。
この記事は医療行為ではなく、診断や治療を目的としたものではありません。 症状のある方は医療機関へ。性暴力被害の相談は #8891(ワンストップ支援センター)、 0120-279-338(よりそいホットライン)へ。