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オーガズムと意識状態

エゴが溶けるとき、何が起きているのか

頂点の数秒間、「私」という感覚は薄くなる。この現象を、脳の研究とタントラ・道教・西洋のミステリースクールがそれぞれどう語ってきたかを重ねて読む。

小さな死、と呼ばれてきたもの

フランス語に la petite mort(小さな死) という言い方があります。オーガズムを指す古い婉曲表現です。

奇妙な比喩に思えます。生命がもっとも活気づく瞬間を、なぜ死になぞらえたのか。

けれど、この言い方をした人たちが見ていたのは、快楽の強さではなかったはずです。彼らが名づけたのは、その数秒間、「私」という感覚が薄くなるという事実のほうでした。

自分がどこにいるのか、いま何時なのか、自分をどう見せたいのか。ふだん途切れなく働いている自己意識が、一瞬、手を離す。戻ってきたときに「どこかへ行っていた」と感じる。

死という言葉は、大げさな誇張ではなく、観察の記録だったと考えるほうが自然です。

何が静かになるのか

この主観的な感覚には、対応する身体の変化が報告されています。

オランダの研究チームが2000年代に行った一連の脳血流研究では、オーガズムの最中に前頭葉の一部(外側眼窩前頭皮質)の活動が低下することが観察されました。この領域は、行動の抑制、自己の監視、社会的なふるまいの制御に関わるとされる場所です。

つまり、強く興奮しているとき、脳のある部分はむしろ静かになっている

似た所見は、まったく別の分野からも報告されています。深い瞑想状態や、幻覚剤を用いた研究で言及される「エゴの溶解(ego dissolution)」では、自己を参照し続けるネットワークの活動が落ちることが指摘されています。自分と世界の境目が薄れ、境界の感覚が緩む。被験者が語る言葉は、伝統の記述と驚くほど似通います。

異なる入口から、似た場所に着いているように見える。

ここで慎重に言っておきます。これらは研究の報告であって、確立した結論ではありません。測定の難しい現象であり、解釈も研究者によって分かれます。「オーガズムで悟りが得られる」といった短絡は、この分野を最も損ないます。

伝統は、それを何と呼んだか

面白いのは、脳の画像を見る手段がなかった時代に、複数の文化が同じ場所を指差していたことです。

タントラ ── 二つが一つになる

インドのタントラの系譜では、宇宙をシヴァ(意識)とシャクティ(力・顕現)という二つの原理で捉えます。この二つは本来ひとつであり、分かれて見えているのは認識のほうの問題である、と。

性の合一は、その分離が一時的に解けることの、身体を使った再現として位置づけられました。快楽の追求ではなく、認識の実験だった。

道教 ── 力を還す

中国の房中術では、性エネルギー(精)を消費して終わらせず、体内で巡らせて還元することが説かれます。還精補脳という言葉が伝わっています。

ここでは、頂点は終着点ではなく通過点です。放出して終わるのか、巡らせて留めるのか。その扱い方の違いが、体と意識に別の結果をもたらすと考えられました。

西洋 ── 聖なる婚姻

古代ギリシャには ヒエロス・ガモス(hieros gamos/聖婚) という儀礼概念がありました。神と神、あるいは神と人の結合を象徴的に演じるものです。

グノーシス派の一部やその後の秘教的な流れの中でも、性は隠すべきものではなく、分離した魂が本来の全体へ戻る道筋の比喩として語られてきました。中世以降のヨーロッパでこの系譜が地下に潜ったのは、内容そのものより、それを扱う権威をめぐる事情によるところが大きい。

日本 ── 陰陽の和合

日本にも陰陽和合の思想が入り、神話の国産みは男女の交わりとして語られます。性を穢れとしてのみ扱う見方は、後から強くなったものです。

なぜ、一瞬で終わってしまうのか

伝統がそろって指摘するのは、通常のオーガズムはあまりに短いということです。

数秒で終わり、その後は弛緩と眠気が来る。「私」が薄くなる時間は、味わう前に過ぎ去ってしまう。

そこで多くの流派が取り組んだのが、その状態を引き延ばすという課題でした。放出に向かって加速するのではなく、手前で留まる。上がっては戻り、また上がる。

このとき鍵になるとされるのが、次の三つです。

いずれも、瞑想の指示とほとんど同じ言葉です。偶然ではないと思います。

はじめる前に

最後に、実践よりも先に置くべきことを書きます。

性にまつわる傷がある方は、急がないでください。 体は記憶しています。感覚を深く開こうとすると、快さではなく、不安や涙や、理由のわからない怒りが出てくることがあります。それは失敗ではなく、多くの場合、順番の問題です。安全だと感じられる土台をつくることが先にあります。

痛みや不調があるときは、医療の領域です。 性交痛、出血、極端な性欲の変化には身体的な原因があることがあります。ここに書いたことは治療ではありません。婦人科や心療内科を先にお訪ねください。

そして、これは目的地ではありません。 オーガズムを深めることが人生の課題になってしまうと、それは新しい執着になるだけです。伝統がこれを扱ってきたのは、性が特別だからではなく、誰の身体にも備わっている、意識が変わる入口のひとつだったからです。

入口は、ほかにもたくさんあります。

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