この主題ほど、書店の棚で玉石が混ざっている領域は珍しいと思います。
同じ棚に、大学出版局の研究書と、根拠の示されない体験談と、技法のマニュアルが並んでいる。どれも「タントラ」「聖なる性」と名乗っている。初めての人が、どこから入ればよいのか判断できません。
ですから、性格の違いで分けて示します。 良し悪しではなく、何をしてくれる本なのかという違いです。
先に断っておきます。ここに挙げたもののすべてを、私が通読しているわけではありません。研究書としての位置づけが定まっているもの、複数の研究で参照されているものを軸に選びました。読んだ上での評価と、位置づけによる紹介は、書き分けています。
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この主題で、日本語圏の人が最初に知るべき事実があります。
中国の房中書 ── 『素女経』『玉房秘訣』『洞玄子』── は、中国本土では散逸しました。 今日それらの内容が読めるのは、平安時代の日本で丹波康頼が編纂した医書『医心方』に、大量に引用されて残ったからです。
つまり、中国の性の知は、日本を経由して現代に伝わっている。
これは単なる豆知識ではありません。この列島が、この主題に対して穢れとして遠ざける態度だけを持っていたわけではないことの、動かぬ証拠です。
現代語訳・注釈書がいくつか出ています。房中術に触れるなら、ここが出発点になります。
インドの古典として最も名が知られていますが、内容を誤解されている度合いも最大です。
体位の書として流通していますが、原典は市民生活の指南書に近く、恋愛・結婚・交際・家政まで扱います。性的な技法はその一部です。タントラの文献でもありません。 成立は四世紀前後とされ、タントラの興隆より前です。
「カーマ・スートラ=タントラ」という現代の連想は、二十世紀の西洋で作られたものだと理解しておくと、多くの混乱が解けます。
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日本語で読めるものとして、まずこれです。
古代インドのシヴァ信仰から、インド・チベットの密教、日本の立川流、摩多羅神、天台の玄旨帰命壇まで ── この列島にまで及んだ系譜を、一冊で通しています。
聖なる性の系譜 で触れた立川流について、断片的な噂ではなく資料に基づいて知りたい場合、ここから入るのが確実です。
邦訳はありません。 英語で読む必要があります。
それでも挙げるのは、これがタントラ研究の現在地を決めた一冊だからです。ホワイトは、中世カウラ派の儀礼を原典に立ち返って再構成し、現代に流通する「タントラ的セックス」が元の実践とどれほど違うかを示しました。十数点のタントラ文献の、ヨーロッパ言語への初訳を含みます。
要点だけ言えば ── 本来のそれは、快楽の洗練を目指すものではなかった。 現代のタントラ講座に何十万円も払う前に、この一点を知っておく価値があります。
堀一郎監修、立川武蔵訳。タントラをヨーガ全体の流れの中に位置づけた古典的研究です。
刊行から半世紀が経ち、その後の研究で修正された点もあります。それでも、この主題を宗教史の中で捉える枠組みを与えてくれる点で、いまも通用します。
オランダの東洋学者ロバート・ファン・フーリックが、中国の房中・性医学文献を体系的に整理した仕事(1971)。邦訳があります。
中国側で失われた資料を、日本の『医心方』などから復元していく過程そのものが読みどころです。
新書として入手しやすく、房中術の全体像をつかむ最初の一冊として適しています。
上の二冊が重いと感じるなら、ここから始めてよいと思います。
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このサイトで最も強く薦める一冊です。
からだが憶えていること で書いたことの、ほぼすべての裏づけがここにあります。なぜ記憶が言葉ではなく感覚として残るのか。なぜ意志で解けないのか。凍りつきとは何か。
性の探究に進む前に、これを読んでおくほうがよい人が、少なくありません。
スピリチュアルな枠組みでトラウマを扱おうとする言説の危うさも、この本を読んでいれば見分けられるようになります。
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批判ではなく、読み方の注意として書きます。
「古代の秘伝」を名乗るもの。 本当に古いものは、たいてい地味で、体系的で、時間がかかります。劇的な効果を短期間で約束するものは、たいてい新しい。
技法の分量が、思想の分量を大きく上回るもの。 どの伝統も、技法は全体のごく一部でした。技法だけが取り出されているとき、元の文脈が抜け落ちています。
「できないこと」を欠損として扱うもの。 中でイケない、感じない、反応しない ── これらを不足として語り、それを埋める商品を提示する構造には、注意を向けてよいと思います。
被害を「引き寄せ」や「カルマ」で説明するもの。 これは注意ではなく、離れてくださいと書きます。理由はこちらに書きました。
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この案内は、まだ骨組みです。次の系統を順に調べ、確かめたものから加えていきます。
読んで、確かめて、書けるものだけを載せます。 読んでいないものを読んだように書くことは、この主題ではとりわけ罪が重いと思うので。