先に立場を明かしておきます。
私の手元には、この領域の本が数百冊あります。日月神示、アセンション、波動、松果体、チャネリング、シータヒーリング ── ひととおり揃っています。買って、読んできました。外から眺めている人間ではありません。
その上で書きます。
この領域の言葉には、それぞれ生まれた年と場所があります。 そして多くの場合、それは「古代から伝わる」と語られている時期より、はるかに新しい。
これは告発ではありません。取り扱い説明書です。
聖なる性の系譜で「古代の秘伝と言われたら立ち止まってください」と書きました。この記事は、その立ち止まり方を具体的にやってみせるものです。
いま日本で使われている「波動」は、二つの層でできています。
古い層は、二十世紀初頭のアメリカです。ウィリアム・ウォーカー・アトキンソン『Thought Vibration』(一九〇六)。思考は振動であり、磁石のように同じ質のものを引き寄せる ── いま「波動」と呼ばれているものの骨格は、ここでほぼ完成しています。ニューソートという、当時のアメリカの精神運動の一部です。
新しい層は、日本です。足立育朗『波動の法則』(PHP研究所・一九九五)。 建築家であった著者が、宇宙から得たとする情報を記した本です。そして江本勝『水からの伝言』(一九九九) ── 言葉をかけた水の結晶が変わる、という写真集。これが海外にも広がりました。
つまり、日本語の「波動」がいまの意味で普及したのは、一九九〇年代後半です。 三十年ほど前。
江本勝の水の結晶については、追試で再現されなかったことが繰り返し指摘されています。写真の撮影者が結果を知っている状態で結晶を選んでいる、という手続き上の問題です。この一点だけは、はっきり書いておきます。
出発点は、いま挙げたのと同じ本です。アトキンソンの一九〇六年の書名を、もう一度見てください。
『Thought Vibration, or the Law of Attraction in the Thought World』
「波動」と「引き寄せの法則」は、同じ一冊から出ています。 別々の教えではありません。
これがちょうど百年後、ロンダ・バーン『ザ・シークレット』(二〇〇六)で世界的な現象になりました。同書が下敷きにしたと述べているウォレス・ワトルズ『富を得る科学』も、一九一〇年のニューソート系の本です。
「古代から伝わる宇宙の法則」ではありません。 二十世紀初頭のアメリカで、成功哲学として書かれたものです。
そのことは、この考え方の限界の形も教えてくれます。個人の努力と成功を語るために作られた枠組みなので、構造的な不運や、他者から受けた被害を説明するのには向いていない。 向いていない道具を使うと、「被害を引き寄せたあなたが悪い」という結論に着地します。からだが憶えていることで書いたとおりです。
道具が悪いのではなく、用途外です。
松果体は、実在します。脳の中央にある、米粒ほどの内分泌器官です。
ここには二つの別々の話が重なっています。
一つは、哲学史の話。 ルネ・デカルトが『情念論』(一六四九)で、松果体を魂と身体が交わる場所だとしました。左右対になっていない数少ない脳の部位だから、というのが彼の理由です。この説は、その後の解剖学と生理学によって支持されていません。
もう一つは、内分泌学の話。 松果体はメラトニンを分泌し、光の量に応じて睡眠と覚醒のリズムを調整しています。これは確立した事実です。
現代のスピリチュアル言説は、この二つに第三のもの ── インドのアジナー・チャクラ(眉間)を重ねます。三つとも「頭の中央あたり」なので、重なるように見える。
「松果体の石灰化が霊性を妨げる」という話もよく聞きます。松果体の石灰化そのものは実在する所見で、加齢とともに増え、レントゲンにも写ります。ただし、それが意識や霊的能力に影響するという確立した知見はありません。
ここでも私の結論は同じです。否定はしません。ただ、松果体を「開く」と称する高額な商品には、根拠として提示できるものがない。 それだけは知っておいてよいと思います。
もとはキリスト教の言葉です。キリストの昇天(Ascension)。
これが二十世紀後半のチャネリング文献に取り込まれ、「人類全体が次の段階へ移行する」という意味に作り替えられました。一九八〇年代から九〇年代にかけて広がり、二〇一二年のマヤ暦をめぐる盛り上がりで頂点に達します。
ここに、この種の言説の性質がよく出ています。
二〇一二年は過ぎました。何も起きませんでした。では言説は消えたか ── 消えていません。「実は内面的・段階的な移行だった」と読み替えられて、続いています。
反証されない形に作り替えられる。 これは、この領域の言説にきわめてよく見られる動きです。予言が外れたときに何が起きるかを見ると、その言説の性質がわかります。
日本にも、はっきり日付のわかる例があります。
一九四四年(昭和十九年)六月十日、画家であり神典研究家であった岡本天明が、千葉・成田の麻賀多神社の末社を訪れた際、腕が勝手に動いて文字を書き始めた ── これが『日月神示』の始まりとされています。自動書記は、断続的に十数年続きました。
私はこの原文を持っています。読み物として、力があります。
ただ、時期を見てください。一九四四年。 敗戦の前年です。国土が焼かれていく最中に、立て替え立て直しを語る神示が降りた。その時代の産物として読むと、まったく違うものが見えてきます。
より広く言えば、チャネリングという形式そのものが、十九世紀の欧米の心霊主義(交霊会、霊媒)を先祖に持ちます。日本の神懸かりの伝統とも合流しています。新しくはないが、古代でもない。 近代のものです。
これは私自身が資格を持っている体系なので、いっそう正確に書きます。
臼井甕男(一八六五〜一九二六)が、一九二二年(大正十一年)四月、東京に臼井靈氣療法学会を設立しました。ここが起点です。
臼井の弟子である林忠次郎が、ハワイ在住の日系人高田ハワヨに伝授し、それが欧米に広がりました。そして一九八〇年代以降、「レイキ」として日本に逆輸入されます。
つまり、日本で今日行われているレイキの多くは、日本 → ハワイ → 欧米 → 日本という経路を通って戻ってきたものです。
ここで大事なのは次の点です。
レイキの由来として、チベット由来説や、古代の秘法だったという説明が語られることがあります。これらを裏づける史料は確認されていません。 確実に辿れるのは、大正十一年の東京までです。
それで価値が下がるでしょうか。私は下がらないと考えています。 百年続き、世界中に伝わり、実際に人の役に立ってきた。それは、古代でなくても十分な事実です。 むしろ、成立年がわかっているというのは、信頼できることのほうに数えていい。
これは分けて理解する必要があります。
ホオポノポノ自体は、ハワイの本物の伝統です。 ただし、内容は現在流通しているものとかなり違います。家族や集団が集まり、司会者(カフナなど)の導きのもとで、告白と赦しを通じて関係のもつれを正す ── 対人的な調停の作法です。
いま日本で知られている「四つの言葉を自分に向けて唱える」形は、モーナ・ナラマク・シメオナが一九七六年から現代向けに改変したものです。彼女自身がそう位置づけています。集団の調停から、個人の自己浄化へと設計変更されたわけです。
改変が悪いのではありません。 ただ、ハワイの古来の秘法として紹介されるとき、この設計変更が抜け落ちます。そして抜け落ちた瞬間に、「他者との関係の問題を、自分ひとりの内面の問題に還元する」という、元の伝統にはなかった性質が入り込みます。
伝統は、人と人のあいだを扱っていました。
ヴァイアナ・スタイバルが一九九五年に体系化したものです。米国アイダホ州。三十年ほど前の、アメリカ発の新しい手法です。
古代の知恵として紹介されていることがありますが、成立年は明確にわかっています。
違います。ここまで一度も「効果がない」とは書いていません。書けないからです。 私はそれを測る立場にありません。
私が書いたのは、年号だけです。
年号を入れると、何が変わるか。三つあります。
一、値段の根拠が変わる。 「五千年前から伝わる秘法」と「一九九五年にアメリカで作られた手法」では、支払ってよい額の感覚が変わります。古さは、価格の正当化にいちばんよく使われる材料です。
二、批判してよい対象になる。 古代の秘伝は疑いにくい。一九七六年の改変なら、何をどう変えたのかを検討できます。日付は、対話を可能にします。
三、自分の体験を、自分のものとして持てるようになる。 これがいちばん大事です。手法が新しくても、あなたに起きたことは起きたことです。 由来の物語に頼らなくても、体験は残ります。むしろ由来の物語に寄りかかっているうちは、物語が崩れたときに体験まで一緒に崩れます。
新しいものに出会ったとき、私は次の四つを見ます。
私はこれらの本を捨てていません。日付を書き込んだ付箋を貼って、棚に戻しただけです。