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からだが憶えていること

傷を「カルマ」と呼ぶ前に

性にまつわる傷は、意志ではほどけない。凍りつき、解離、フラッシュバック。何をしてはいけないか、どこに相談できるかを、はっきり書きます。

この記事は、順番が違います

ほかの記事と違って、これは先に「してはいけないこと」から書きます。

理由は単純で、この領域では善意の実践が人を傷つけることがあるからです。急いで開こうとして、かえって深く閉じてしまう。そういう例が、少なくありません。

先に ── これはしないでください

一、無理に思い出そうとしない。 「原因を突き止めれば解放される」という発想は、この領域では危険です。準備のない状態で記憶に触れると、再体験になるだけで、処理されません。

二、感情を爆発させることを目的にしない。 泣き叫べば楽になる、という考え方があります。一時的に軽くなることはありますが、それ自体は治癒ではありません。 繰り返すうちに、興奮と消耗のサイクルに入ることがあります。

三、身体に強い刺激を与えて「突破」しようとしない。 深いマッサージ、強い呼吸法、長時間のワーク。凍りついた身体に強い入力を加えると、より深く凍ります。

四、そして、自分を責めない。 これがいちばん大事です。次の節で詳しく書きます。

「カルマ」という言葉の、危うい使い方

スピリチュアルな文脈では、こう語られることがあります。

「あなたがその出来事を引き寄せた」 「過去生の課題が現れている」 「学ぶべきことがあるから起きた」

私は、この言い方をはっきり否定します。

性暴力や虐待の被害に、被害者の側の理由はありません。引き寄せてなどいません。 そう語る言説は、加害の責任を被害者に移し替えているだけです。

伝統的なカルマの概念にも、本来こうした「自己責任論」の含意はありません。因果の連鎖を語る枠組みが、近代になって自己啓発と結びついたときに歪んだものです。

自分を責める気持ちが出てきたら、それは治癒の進行ではなく、傷そのものの声だと思ってください。

からだは、何を憶えているのか

出来事の記憶は、言葉として保存されるとは限りません。

強い恐怖の場面では、言語で処理する働きが落ち、代わりに感覚・姿勢・呼吸のパターンとして残ることが知られています。だから、思い出せないのに反応だけが起きる。

よく報告される形を挙げます。

いずれも、そのときを生き延びるために身体が選んだ方法です。壊れているのではなく、古い設定が残っている。

ほどけるときの原則

治癒の方法をここで教えることはしません。それは専門家の仕事です。ただ、方向性の原則だけ書いておきます。

少しずつ、行ったり来たり。 一度に深く入らない。少し触れて、離れる。安全な感覚に戻る。また少し触れる。この往復が、身体が処理できる速度です。

土台が先。 足の裏が床についている感覚。呼吸が続いている感覚。部屋の温度。まず「いま、ここは安全だ」という感覚を確かなものにする。 これが無い状態で記憶に触れないでください。

声を取り戻す。 「いやだ」と言えなかった経験は、その言葉自体を奪います。安全な場所で、小さなことから断る練習をする。これは性の話に見えて、実際は日常の話です。

時間がかかることを、失敗と呼ばない。 数か月では終わりません。年単位です。それは異常ではなく、普通です。

どこに相談できるか

ひとりで抱えないでください。日本で使える窓口を挙げます。

性犯罪・性暴力被害者のためのワンストップ支援センター 全国共通番号 #8891(はやくワンストップ) 最寄りの支援センターにつながります。相談は無料、匿名でも可能です。

よりそいホットライン 0120-279-338(24時間・通話無料) 性別や内容を問わず、生活全般の相談を受けています。

婦人科・心療内科 性交痛、出血、生理の異常、抑うつ、不眠には身体的・医学的な原因があることがあります。スピリチュアルな解釈を試す前に、まず医療にかかってください。

トラウマを扱える心理職 心理療法にはトラウマに特化した手法があります。カウンセラーを探すときは、トラウマの専門的な訓練を受けているかを、遠慮せず尋ねてよいです。合わないと感じたら替えて構いません。

相談先を選ぶときの目安をひとつ。「あなたが引き寄せた」「前世が原因」と言う人からは、離れてください。 それは支援ではありません。

性のワークとの関係

このサイトで扱っている実践との関係を、はっきりさせておきます。

傷がある方は、感覚を開くワークから始めないでください。 順番が逆です。

先に必要なのは、安全の感覚と、日常の安定です。そこが整ってから、身体の感覚に少しずつ戻っていく。呼吸とからだの手順二(性的でない身体走査)は、その段階で役に立ちます。手順三以降は、ずっと後でいい。

そして ── やらなくても、まったく構いません。

聖なる性の探究は、誰にとっても必須の課題ではありません。人生には、ほかにいくらでも入口があります。

急がないでください。 身体は、あなたが安全だと確信するまで、開きません。それは頑固さではなく、賢さです。

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